2025.10.21
新海誠原作『秒速5センチメートル』の実写映画版を観てきました。
正直、新海作品の中でも最も実写化のハードルが高いのでは?と感じており、発表当初から「これは挑戦的な企画だ」と楽しみにしていました。
本記事では、原作からどのように再構築されたか、そして実写映画版としてどのような魅力を放っていたかを中心に感想をまとめます。
※結末には直接触れませんが、原作アニメ版の内容には一部言及しています。
あらすじ・キャラクター紹介
公式サイト:https://5cm-movie.jp/
実写化としての完成度と印象
結論から言えば、実写映画化として理想的な形に仕上がっていました。
原作の核となる繊細な心情や時間感覚を継承しつつ、時系列の再構成や登場人物の深掘りが見事に作用しています。
原作版では、雪の夜に止まった電車のように“時”を失った主人公の内面を描く物語でした。思い出が呪いにもなり得るという怖さ、そして極限までプラトニックな恋の純度が強烈に印象に残ります。
一方で実写版は、その“セカイ”の中にあった閉じた世界を、外へ開くような方向に着地させていました。
静かな希望を感じさせるエンディングによって、鑑賞後の余韻が穏やかに続きます。
また、原作では再会しなかった遠野貴樹と篠原明里が、実写版ではたびたびニアミスする構成になっており、「今回は再会するのか?」と最後まで引き込まれました。
原作の純度と、実写版の新たな余白。どちらの魅力も往復して味わえる点で、この実写化は非常に成功していると感じます。
(個人的には、この作品を観て『天気の子』が好きな理由を再確認しました。)
奥山由之監督の映像感覚
今回の実写化が成功するかも?と感じた要因の一つが、奥山由之監督の起用でした。
彼は米津玄師、星野源、カネコアヤノ、never young beachなどのMVや広告写真を数多く手がけており、独自の映像美を築いています。
短編『アット・ザ・ベンチ』に続く本作が、初の長編映画。いきなりの大抜擢でしたが、フィルム特有の質感と“時間と距離”の表現力が『秒速5センチメートル』という題材に完璧にフィットしていました。
🎞 参考作品としてのMV
・never young beach「お別れの歌」
美しすぎた思い出を、あまりに美しい映像で閉じ込めてしまう――本作とも通じる“記憶の暴力性”を感じさせます。
・カネコアヤノ「抱擁」
クローズアップからロングショットへ移る映像構成が絶妙。
劇中クライマックスの“あるシーン”でこの手法が活かされ、ショット一発で物語の本質を表現していました。
キャスティングの妙

主演の松村北斗さんは、まさに“映画に愛された俳優”。
直近の主演作『夜明けのすべて』『ファーストキス 1ST KISS』に続き、本作でも圧倒的な存在感を放っています。
後ろ姿だけで世界を遮断していることが伝わり、光を失った瞳が物語の進行とともに少しずつ光を取り戻す――その変化を繊細に演じ切っています。
声のトーンやたたずまいまで含め、「演技を超えた在り方」という言葉がぴったりです。
劇中、たこ焼きを食べる松村北斗さん、喫煙所で煙草を吸う松村北斗さん、イヤホンで世界を遮断する松村北斗さん――完全にアイドル映画視点で楽しんでしまう瞬間も多々あり、改めて松村北斗さんの魅力を実感しました。

また、高校生時代に遠野に恋する澄田花苗を演じた森七菜さんは、可憐さと初恋の切なさを体現。
初恋相手を思いながら常にここではないどこかを見つめる主人公との心理的距離、初恋の美しさと残酷さの対比がより強化されています。
そして、実写化で最も重要で難しいと思われた、小学生時代の篠原明里役には白山乃愛さんという逸材が登場。
アニメなら抽象化で説得力を持たせられますが、実写では演技で具体的な説得力を示す必要があります。
“もしこの子が初恋の相手だったら、その後の人生を大きく変えてしまうかもしれない”――観客にそう思わせる物語的説得力をしっかり備えた役どころです。
この時点で実写化は見事に成功しており、さすが東宝シンデレラの実力と言えるでしょう。
時系列構成の変更と効果
原作の三部構成(「桜花抄」「コスモナウト」「秒速5センチメートル」)を、
実写版では社会人パートから過去を振り返る構成に変更しています。
これにより、「再会が最後の瞬間である」という事実を知ったうえで見る「桜花抄」が、
より切なく、同時に“未来への希望”を感じさせるものになっていました。
見る順番を変えるだけで、作品の印象はここまで変わるのか。
この編集構成の妙には唸らされます。
音楽の力:「One more time, One more chance」と「1991」
『秒速5センチメートル』といえば、ラストで流れる山崎まさよしさんの名曲「One more time, One more chance」が印象的です。
本作でも原作を尊重する形で使用されており、社会人パートのクライマックスに向かうタイミングで流れるため、歌詞と映像のシンクロが最大化されています。映像と曲が完璧に呼応する瞬間には、「こんなところにいるはずもないのに!」と思わず声をあげたくなるほどの演出です。
さらに、劇中では「One more time, One more chance」が劇中歌として機能し、主題歌として米津玄師さんの「1991」が流れます。
エンドロールの中で静かに流れるこの曲は、実写映画版の物語にぴったり寄り添い、鑑賞後の余韻を長く残してくれます。公開初日でほぼ満席の劇場では、誰一人として席を立たなかったことからも、エンディングの完成度の高さがうかがえました。
それにしても、『劇場版チェンソーマン レゼ篇』と本作の主題歌を同時期に手掛ける米津さんは、まさに音楽の悪魔です。
山崎まさよし「 One more time, One more chance 」
米津玄師「1991」
他者との関係と“前に進む力”

原作では基本的に主人公・遠野貴樹のモノローグ中心で進行し、他の登場人物の描きこみは必要最低限でした。そのため、一部では登場人物が記号的に見える危うさもありました。(主人公の内面世界を深く描くためには必要な語り口ではあります。)
一方、本作では上映時間が原作の63分から121分へと倍近く拡張され、遠野にフォーカスしていた原作よりも他の登場人物の描写が増えています。さらに、過去を引きずり世界を遮断する遠野と、他者とのコミュニケーションを通じて囚われた過去から未来へ踏み出していく描写が丁寧に描かれています。脚色の中でも、ここが最も印象的で好きな要素でした。
遠野の思い出の中で、美しく咲き続ける春の桜でさえ、暑い夏や寒い冬を経てようやく花開きます。過去の間違いや正しくなかった経験も、自分の世界を構成する大切な要素だったのだと気づく瞬間が、誠実に描かれています。
美しさや正しさだけでなく、残酷さや正しくなさも含めたグラデーションこそが世界の美しさであり、それを教えてくれるのは0.0003%の確率で出会う人々です。
桜の花の落ちるスピードは秒速5センチメートル――進んでいるかどうか一目ではわからなくても、遠野が未来へ前進する姿を描いてくれただけで、実写映画化の価値は十分にあると感じました。
人生の有限性を描く恋愛映画として

良質な恋愛映画は、恋愛の成否だけでなく、恋愛のその先にある他者との関わりや、自分と世界の交わりにも視野を向けさせてくれます。さらに、無意味だと思っていた瞬間にこそ意味があること、限りある一生をどう歩むか、といった人生の有限性についても考えさせてくれる作品こそ、質の高い恋愛映画だと私は思います。
(逆に、恋愛の成就までのプロセスに重きを置く作品は、主にロマンティックコメディの系譜に属すると捉えています。)
近年の日本映画では、『花束みたいな恋をした』『ちょっと思い出しただけ』『ファーストキス 1ST KISS』といった傑作があります。本作もこれらと並ぶ、時間と距離を描く恋愛映画の新たなクラシックになり得る作品だと感じました。
まとめ
『秒速5センチメートル』実写版は、
「進むこと」と「思い出を抱えて生きること」の両立を静かに描いた作品です。
桜の花が落ちる速度――秒速5センチメートル。
そのゆっくりとした歩みでも、確かに前へ進んでいる。
その事実を丁寧に教えてくれる、誠実で美しい映画でした。

