
みなさん、こんにちは。
存在しない青春を妄想してはその悦に浸っている悲しき獣です。
はい、ということで今回は知ってる人は知っているあの作品の名台詞がタイトルです。
化物語から連なる、通称:物語シリーズに出てくる三つ編みメガネで委員長の中の委員長、羽○翼の発言です。
最近某SNSでも話題になっていましたね。”西尾作品を学生時代に読んではいけない”と。
読んだ人はおそらく永遠の厨二病に疾患してしまうからということらしいです。
自分も中学生の頃に読んでしまいそこからしばらく阿○々木くんになりきることになりました。(吸血鬼にも出会えず、個性的な女の子たちとの怪異譚もありませんでした)
やはり魅力的なものにはそれ相応の毒があるということですかね。
閑話休題
さて、メガネ三つ編み巨○委員長が言っていたこのセリフ。実はなかなか深いことを言っています。
このセリフの核心は、知っていることと知らないことを明確に区別する態度にあると思います。
自分が知っていること知らないことを正確に自覚して、明言できるというのは極めて誠実で理性的な態度ではないでしょうか。これは情報過多によるフェイクニュースや偏見が蔓延する現在の社会では非常に重要な姿勢です。
僕たちは「言葉を知っている」、「聞いたことがある」、「誰かが言っていた」というだけで知っている気になってしまいます。実際に理解していないのに、です。
これを「知の錯覚」と呼ぶらしいですが、このような錯覚により誤った判断・無責任な発言、さらには差別や偏見の再生産が引き起こされてしまいます。
だからこそ、「知らない」といえる(認識できる)勇気は知るための第一歩であり、上記のような過ちを犯さないための防波堤でもあります。
この精神は歴史上の哲学者の精神とも繋がります。
ソクラテスの「無知の知」
かの有名な古代ローマの哲学者、ソクラテスの考え方です。
ソクラテスは、自分が知らないということを知ることを善しとしました。
彼にとって知とは、自分が知らないと言うことを知ることでした。
この認識は白髪ロング猫耳委員長のセリフでも貫かれていて、慎みと誠実さを持って知と向き合う姿勢が共通しているといえるでしょう。
ヴィトゲンシュタインの「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」
僕の好きな哲学者のうちの一人です。この哲学者は主に言語について注目した哲学者として有名です。
この命題も「知らないことは語らない」ことの重要性を説いています。
神や死など言語と論理の枠組みを超えてしまう対象については誤解や混乱を防ぐためにも語るべきではないという態度です。規模感こそ違えど、知らないことを語らないという点では一貫していますね。
自らの語りの限界を正しく認識して、そこから外れるものに対しては沈黙するという考え方は非常に学びになります。
今回のオチ
委員長の中の委員長のこのセリフは現代社会における賢さ、知に対する誠実な姿勢を私たちに問いかけています。
自分も知の錯覚に惑わされて、ハリボテの万能感に囚われないよう仕事だけでなく私生活でも気を付けていきたいものです。
では。