2021.04.23
STAFF BLOG
スタッフブログ
NOTE
雑記
日本にいるなら、国民も海外旅行者も全ての人がお世話になっているこの御方。
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」の名言と慶應義塾の創設者で有名な、福澤諭吉。
最近は、ナントカペイやクレジットカードの利用で目にする機会が減ってきてはいますが、でも変わらず日本中がお世話になっています。
いつもありがとうございます。
なぜこの御方の名前を出したかといいますと、実は弟から Amazon Kindle ペーパーホワイトをプレゼントされたことをきっかけに、せっかくなら今まで手を出したことのないジャンルで電子書籍を買ってみようと思ったことがきっかけで「学問のすゝめ」と「福翁自伝」を読んだからになります。
普段、まじまじと見る機会はないと思うので宜しければお財布の中にいる諭吉さんを取り出して一度眺めて頂けますでしょうか。
お財布にいなければATMにいます。
見て頂いて、どんな印象を受けますか??
自分は、「堅そう」「鬼真面目」「無愛想」こんな感じでしたが、上記の書籍を読むとその印象はまるで逆のものになります。
前置きが長くなりましたが、今回は福澤諭吉という人物について書きたいと思います。
まず、「学問のすゝめ」ですが
本書の冒頭に書かれている「人々は皆平等である」と謳った上記の名言には続きがあり「でも実際には人間世界に格差はあるし、その格差は学ぶかどうかで決まるから勉強することを勧めるよ」と、大雑把に言うとこんな内容でして、理想論だけでなく現実味も合わせてやっぱり勉強って大切だよなと思わせてくれる一冊でした。
勉強についてだけではなく、100年前に書かれたとは思えないほど今の時代でも通用する人生に対しての本質を突いた考え方、人間関係など大切にした方がいい部分が書かれていて、非常に優れたビジネス書だなと思いました。
今後は新刊だけでなく、こういった昔の本もどんどん読んでいきたいなと思わせてくれました。
ありがとう、諭吉さん。
しかし、自分が伝えたいのは「福翁自伝」!!!
めちゃめちゃ面白いんです、この本!!!
この御方の生きてこられた半生が綴られていますが、その内容が衝撃的なんです。
まずこの御方、お酒大好き過ぎてしょうがないです。大好きどころか泥酔して何度もお酒でやらかしてます。笑
自分も何度もやらかしています。親近感が湧いてしょうがないです。
しかも、お酒の味を覚えたのがなんと幼少時代というぶっ飛んだエピソードを諭吉さんはお持ち。
諭吉さんの月代(サカヤキと読みまして、ちょんまげの周辺の毛がない部分を指すそうです。)をお母さんが剃る時に、痛いから嫌がっていたそうなんですが(頭剃られるなんて経験ないですけど、痛そうですよね)
その時に、困ったお母さんは「分かった。酒を飲ませてやるからそこを剃らせろ」と言って諭吉さんもお酒が飲みたいから従っていたそうです。
いや、お母さんファンキー過ぎません!?笑
今で言えば、お母さんが「ちょっと静かにしてて」とスマホを与えるような感じで小さい我が子に酒を与えるって、そこでもう計り知れないです、この親子。
そこからまだハタチにもならない未成年で立派な酒飲みに育ったと本人が綴っています。
でも、このお母さん本当に懐が深いんです。
元々、福澤家の主人は亡くなっていたところ、その上お兄さんまでもが病気で亡くなってしまい、お母さんと妹はいましたが女性では家を相続することができないという時代。
福澤家の男は諭吉さんただ1人だったので、周囲からは「兄の不幸でお前が家を相続した以上、御奉公大事に勤めをするはずのもの。なのに、オランダの学問をやりたいとはどういうことだ。呆れて物も言えん。お前の母もそれを許しはしない。」と言われたそうで、家を継いだら自分のやりたいことは諦めなければならない大きなピンチがあったそうです。
そこで諭吉さんは考えた。「頼みになるのは母1人だ。母さえ承知してくれれば誰が何と言っても怖いものはない」と。
そして、お母さんに「自分にはやりたいことがある。だからここを出ていきたい。」と自分の思いの丈を伝えたそうです。
しかし、諭吉さんが家を出てしまうと五十何歳のお母さんと、生まれてまだ3歳の亡くなった兄の娘、その2人を家に残してしまうという状況です。
そんな状況で、我を通す諭吉さんも凄いですが、何よりもここで出たお母さんの言葉に驚きました。
「うむ。よろしい。兄が死んだけれども、死んだものは仕方ない。お前もまたよそに出て死ぬかもしれないが、それはどうこう言っても仕方ない。どこへでも出ていきなさい。」と言ったそうです。
え、ちょっとお母さん、カッコ良すぎじゃないですか??
きっと周囲から冷たい眼差しや、批判など食らうことは分かっていたと思いますが、それでも本人のやりたいことを尊重し、羽ばたいていけと送り出すその懐の深さ。
しかも当時は飛行機なんてないので海外へ行くのも命がけの時代に「死ぬことをどうこう言ってたら何も始まらないから、行ってこい」と言って送り出す懐の深さ。
もう、その懐に惚れそうです。いや、惚れました。
またこの諭吉さん、お茶目な人だったそうです。
囲碁なんてやったことなく何も知らなかったそうですが、塾の学生仲間が囲碁を始めると、しゃしゃり出て上手者のようなことを言う人がいてイラッとしたそうで。
「あー、その黒の手、間違いじゃない??ほら、やられた。バカな奴だな、あれを知らないなんて。」と振り切った知ったかぶりを横からしていたそうです。笑
そんなこと言っちゃうから向こうから「じゃあ福澤、一番やろうか」と言われて「馬鹿言うな、君たちを相手にするのは時間の無駄。そんな暇はない」と言って逃げたものの、その後何かのタイミングで化けの皮が剥がれて散々罵られたそうです。笑
いや、そんなのいずれバレるの分かるじゃんって 笑笑
でも、知ったかぶりをしたくなっちゃった諭吉さん
お茶目で、可愛くないですか??
肖像画からは全く想像つきませんが。笑
他にも物を盗んじゃったとか、嘘ついて欲しいものを手に入れたとか、悪知恵を働いて器用にこなしていく面白エピソードが沢山あるので本当にイメージが、ガラリと変わります。
しかも自伝といっても成功自慢があまりなく、自分のダメなところや失敗談を包み隠さず綴っているので、その点も懐が深い、人間味溢れる人だなという印象へ変わりました。
ただ、やはり凄い人であることには変わりなく、その1つで自分がビックリしたことですが、今自分たちが当たり前のように払っている「授業料」実はこれ福澤諭吉が発案したそうです。
それまでの私塾の習わしをぶち破り、「教授も人間の仕事。人間が人間の仕事をして金を取るのに何の不都合があるんだ。周りに構うことはないから公然と値を決めて生徒から取るがいい」と言い、授業料という名を作って生徒に払わせた。と綴られています。
このエピソードに面白い一文がありました。
「何事によらず新工夫を考えてこれを実際に行うというのは、その事の大小を問わず、よほどの無鉄砲でなければ出来たことではない。その代わりに、それが首尾よくいって、いつの間にか世間一般の習慣になれば、私にとっては願いが成就したようなもので、こんな愉快なことはありません。」
いつの時代も、何かを考えてそれを実行できる人というのはそうそういないし凄いことであると感じましたし、
今ある常識や慣習を疑い、独自に工夫して実行し改善を図っていくその貪欲な姿勢もカッコいいなと感じました。
インターネットなんて無い時代に、自分の発案したことが世間一般に定着していくというのは、世間の人々に受け入れられながら広がっていったんだろうなと想像できますし、もの凄い偉業だと思います。
最後に、福澤諭吉は自分の人生を振り返ってこう綴っています。
「人生過去を想えばぼんやりとして夢の如し、とはいうが私の夢はとても変化の多い賑やかな夢でした。
小士族に生まれた少年が、ひょいと外に飛び出して西洋学の門に入り、以前と変わった本を読み、以前と変わった人と交わり、自由自在に運動して、二度も三度も外国に行けば考えはだんだん広くなって、日本が狭く見えるようになってきたのは、何と賑やかなことで大きな変化ではあるまいか。」と。
今は、新型コロナウィルスの影響で旅行や外に出ることも、ましてや人と対面で話すことさえ難しい時代ですが、自分も色んな人と話したり色んな所へ行って考えが広がっていくこと自体好きですし、諭吉さん程ではないですがお酒も好きなので、いつかこのコロナが終息して以前のように戻ったら、今まで以上に海外旅行や人とお酒を飲む時間を楽しんで、諭吉さんのように自分の知見を広げていこうと思います。