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雑記

2021.09.24

戦国武将の最強者は

雑記

今回は指揮官部門となります。

1位:島津義弘

義弘の有名な武勇は2つ。一つは朝鮮出兵の泗川の戦いで、

七千の兵を率いて二十万の明・朝鮮の大軍を撃破し、

敵からも「鬼石曼子(グイシーマンズ)」と恐れられます。

徳川家康もこの戦いを「前代未聞の大勝利」と評価しています。

そしてもう1つは、「島津の退き口」と呼ばれる撤退戦です。

関ヶ原の戦いで、義弘は様々な事情があって不本意ながらも西軍についていました。

しかも西軍総大将の石田三成にも軽視され、

戦意を失った義弘は戦いに参加しようとしませんでした。

そして小早川秀秋が寝返り、西軍が総崩れとなって石田や宇喜多など西軍主力が敗走する中、

義弘も撤退を決意します。

そしてなんと後方に撤退するのではなく、前方の伊勢街道を目指して、敵軍の正面に飛び込んでいきます!

この時、義弘の兵力はたった300、敵の東軍は7万だったと言われますが、

まずは前方の福島正則隊を突破し、東軍本陣の徳川家康の陣の前まで迫ったところで転進し、

伊勢街道を南下していったと言います。

もちろん転進してからも、本多忠勝や赤備えの井伊直政、

松平忠吉などの徳川の猛者が追撃してきましたが、

義弘は「捨て奸」といって足止めの兵を配置しながら撤退し、なんとか逃げ切りました。

歴史にifは禁物だと言われますが、もし義弘が十分な兵を率いて本格参戦してた場合、

歴史は大きく変わっていたのではないかと思います。

2位:本多忠勝

武田軍に「家康に過ぎたるものが二つあり 唐の頭に本多平八」と評された他、

織田信長や豊臣秀吉にも評価され、徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑にも数えられています。

姉川の戦いで朝倉軍1万に単騎で突撃したり、三方ヶ原の戦いで3千人を率いて殿をして

2万7千の武田軍を食い止めたり、小牧・長久手の戦いではたった500の兵で16万の豊臣軍の前に立ちはだかったり・・・、

と、この武将の武名も上げていくと本当にキリがありません。

しかもこれだけの戦火をくぐり抜けて、なんと戦で傷を負った事は生涯なかったそうです。

3位:立花宗茂

「東国最強」と言われていた本多忠勝と並び、西国最強と言われていた武将。

実父の高橋紹運、養父の立花道雪も名将として知られています。

宗茂の最初の晴れ舞台は、やはり立花山城の戦いです。

たった3千の兵と籠城し、九州統一を目前としていた4万の島津軍を相手に奮戦。

本陣を奇襲するなど遊撃戦を展開し、一時は撤退させるなどして、

見事に豊臣秀吉の援軍が来るまで持ちこたえます。

豊臣政権下でも朝鮮出兵などで活躍。

特に碧蹄館の戦いは有名で、敵の明軍の兵力は不明な点が多く、

4万とも15万とも言われますが、とにかく宗茂はたった3千の兵で撃破してしまいます。

秀吉没後も、関ヶ原の戦いで大津城を攻略するなどの活躍を見せますが、

属していた西軍が負けたため改易されてしまいました。

この記事を書いた人

ダンディー

入社年2009年

出身地山口県

業務内容ソフトウェア開発

特技・趣味ゴルフ

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