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雑記

2023.01.30

戦国武将の最強者は

雑記

今回は知略編となります。

1位:黒田官兵衛

竹中半兵衛と同じく、豊臣秀吉の名参謀として知られる武将。

秀吉の天下統一の一番の立役者と言っていいでしょう。彼が中国大返しを進言しなければ、秀吉が天下を取っていた確率は低い。

この方もエピソードを挙げ始めるとキリのない武将ですが、中国大返し以外では小田原征伐で北条氏政を説得し、無血開城させたという話が有名でしょう。

とにかく歴史の要所で活躍しているので、官兵衛がいなければ日本の歴史は大きく変わっていたと思われます。

あと個人的に知っていて欲しいのは、官兵衛は関ヶ原の合戦のときは九州にいましたが、この時は兵を集めて大友家などを破り、ものすごい勢いで九州を進軍していた事です。

関ヶ原は小早川秀秋の寝返りで6時間で終わってしまいましたが、当初は一ヶ月は続くと予想されていました。

もし関ヶ原が予定通りに長引いて官兵衛が九州を統一していれば、家康に並ぶ勢力になるわけですし、これまた日本の歴史は大きく変わっていたでしょう。

2位:竹中半兵衛
言わずと知れた名軍師。

斎藤家の家臣時代には、十面埋伏陣と呼ばれる伏兵戦法で織田信長を翻弄したり、稲葉山城をたった16人で奪取したというエピソードがあります。

その後、秀吉に従えてからも数々の功績を挙げますが、程なくして36歳という若年で病没。

実はいうとそんなに実態がわかってない武将だそうですが、江戸時代の講談で黒田官兵衛とともに天才軍師のイメージが固まり、現在も非常に人気の高い武将です。

3位:太原雪斎

今川家を軍事・内政の両面から支えた名軍師。今川義元や徳川家康の教育係としても有名です。

そしてあの甲相駿三国同盟の立役者だと言われています。

実は甲相駿三国同盟は今川家にもっともメリットが大きい同盟で、武田家は太平洋へ出られず、北条家は上洛の道を閉ざされ、今川家だけが背後を固めて上洛に専念できるという同盟でした。

こうした今川有利な同盟を組めたのは、やはり当時は今川家がもっとも影響力が強かったという事でしょう。

信玄率いる武田家や氏康率いる北条家を相手に優位に立ち、外交でも有利な条件を押し切ってしまう手腕は流石といえます。

特に武田信玄は今川家には完全に一目置いていて、一切手を出せなかったそうです。あの山本勘助も存命中であるにも関わらずです。

ちなみに山本勘助は雪斎没後に「今川家の事、悉皆坊主(雪斎)なくてはならぬ家」とも語っています。

また、三国同盟の締結後は武田と上杉の戦いでも今川家は援軍を出してますし、間接的には上杉謙信や宇佐美定満なども翻弄していたという事でしょう。

尤も、上記に挙げた面々とどのぐらい接点があったのかは不明ですが、戦国時代でももっとも群雄割拠だった時代において、今川家を頭一つ抜けた名家に仕立て上げた手腕、功績はとてつもないと言えるでしょう。

この記事を書いた人

ダンディー

入社年2009年

出身地山口県

業務内容ソフトウェア開発

特技・趣味ゴルフ

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