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  • 雑記

    戦国最強の武将は誰

    **** 武勇編 ****1位: 朝倉宗滴浅井亮政という、これまた中々の名将がいるのですが、その亮政の守る小谷城の一角に5ヶ月も居座ったという話もあります。しかしやはり一番有名なのは九頭竜川の戦いでしょう。なんと30万人もの一向宗を相手に、宗滴はたった8千人から1万6千人ほどの軍勢で戦います。そして夜襲を仕掛け、見事勝利してしまいます。この時の一向宗の数や強さには諸説あるのですが、多少の幅があってもとんでもない大逆転だと言えるでしょう。そしてその後もなんと79歳まで戦い続け、陣中で病没したと言います。数々の戦陣訓や家訓も残しており、もっとも敵に回したくない武将なのです2位:毛利元就謀略家として有名な人物。しかし合戦の方も強く、なんと勝率では戦国大名でナンバー1です。中でも有名なのは厳島の戦いでしょう。たった4千から5千の兵力で、2万とも3万とも言われる陶晴賢軍を打ち破ってしまいます。元就のような知略タイプの武将は、普段からコツコツと内政をして相手より多くの兵力を用意して勝つというパターンが多いです。しかし元就の場合は内政はもちろん、厳島のように絶望的な戦いもひっくり返してしまいます。3位:上杉謙信上杉謙信の何がすごいかと言えば、少ない兵力で勝ち続けた事です。当時の新潟は今のような米どころではなく、あまり兵糧を用意できませんでした。それでも謙信は合戦では高い勝率を誇り、勝てなかった合戦でも何とか引き分けに持ち込む事が多かったわけです。中でも川中島の戦いは有名ですね。あの武田信玄を相手に、数で劣っているにも関わらず武田信繁や山本勘助を討ち取って痛み分けに持ち込みました。武田陣営の兵糧を炊く煙がいつもより多く登っているのを見て、「これは奇襲が来る」と読んで勘助の啄木鳥戦法を見事に打ち破りました。もう一つ有名な戦といえば、柴田勝家を返り討ちにした手取川の戦いです。織田軍が川を渡りきるタイミングで謙信率いる上杉軍が現れ、準備もできておらず逃げる事も困難な織田軍は大ダメージを受けました。このように武田信玄や柴田勝家など、かなりの手練を相手に勝ち続けたというのが上杉謙信の凄いところです。次回は、指揮官部門になります。

  • 雑記

    戦国武将の最強者は2

    可児才臓可児才蔵も水野勝成と同じく、何度も主君を変えてきた武将です。転々と主君を変えていた詳しい理由はわかってないものが多いですが、可児才蔵は武勇に優れている!と有名だったらしく、引く手あまたの人気者だったようです!そんな才蔵が最強と言われるのは、なんといっても笹の才蔵のエピソード!とある戦で、才蔵は16もの首級をあげました。16もの首・・・、さすがに全部は持って帰れないので、才蔵は戦場に置いて帰ったんですね。討ち取った首は、数やその身分によって恩賞が与えられるんですね。基本的には自己申告らしいので、戦場から集めた首を『自分の申告』とするものもいたらしいですが、可児才蔵は討ち取った首の口やら耳やら鼻に笹の葉を含ませておいたんです!そしてこの戦で一番多く手柄をあげたのは可児才蔵!笹の葉を含んだ首を見た他の武将達は、さすがは歴戦の勇者である!と才蔵を褒めたたえたといいます。そして才蔵は笹の才蔵と呼ばれ、武将達の憧れの存在になったのです!水野勝成の後なのでなにぶんインパクトにかけちゃいますが、才蔵は関ヶ原の戦いでも1番多く手柄をあげた武将といわれており、最強と呼ぶにふさわしい武将なのです!

  • 雑記

    戦国武将の最強者は

    水野勝成徳川家康の従兄弟になります。かなり破天荒な方で、徳川家→織田家と仕えていましたが、ある時、勝成は父親の水野忠重の家臣と揉めて殺害してしまい、父の忠重は激怒!勝成は水野家を追い出されてしまった。それからは主君を何度も変え、全国を転々とする。フラフラと放浪する事約15年、勝成はついに徳川家康の元へ戻り、父とも仲直りをしました。そこからは徳川家の家臣としてマジメに働くこととなる。16歳で参戦した高天神城での戦では、15も首級をあげて織田信長から感状と、永楽銭の旗印をもらっている。本能寺の変の後、織田信長がいなくなった世は凄く混乱していて、武将達はこの機を逃すなとばかりに領地をめぐって戦を起こすこととなる。かつて武田信玄が治めていた甲斐、信濃も織田の領地となっていたんだけど信長の死によってガラ空き状態になります。その旧武田領をめぐって戦ったのが北条家と徳川家水野勝成はこの甲州黒駒合戦と呼ばれる戦に徳川軍として参加。そして人間技とは思えない凄まじい戦いをしているなんと北条軍1万に対し、勝成は1人で戦いに挑んで300もの首級をあげたとのこと(本当ですか?)そもそもなんで1人で戦うなんて状況になったの?勝成は前の戦で、味方の武将(上司)に抜け駆けされたらしく、それがかなり頭にきちゃったみたい。で、『もう知らん!俺は俺の好きなように戦う!』その結果、命令があるまで動いてはいけないという決まり事を無視して独断で敵につっこんでいったということなんです。

  • 雑記

    戦国武将のちょっと面白い話

    「尼子経久」尼子家の当主で最盛期を築いた武将で、地位を追われているところから復権、主家から独立し下剋上を成し遂げ、戦国大名へと成り上がった武将です。権謀術数に長けており、梟雄の梁山泊と言える中国地方において、毛利元就、宇喜多直家らと共に中国の三大謀将と称されます。また、最盛期の絶大な影響力から十一ヶ国太守、知略を駆使して尼子家を大大名へとのし上げたところから謀聖とまで言われます。謀には「計画をたてる。あれこれと方法手段を考える。はかりごと。」聖には「知徳にすぐれ、尊敬される人。」という意味があり、謀聖という字面もかっこいいです。さて、そんな謀聖にはもう一つあだ名がありました、それは「天性無欲正直の人」というもの経久は自分の持ち物を褒めた家臣に対して、その持ち物がどんなに高価な物でも渡してしまう人物だったそうです。少し褒めるだけでどんなものでも渡してくるので、家臣は気を使い褒めないようにしていたようですが、ある日、「これはさすがに大丈夫だろう」と庭に植えてあった木の枝ぶりを褒めたところ、経久はその場で掘り起こして渡そうとしてきました。家臣は慌てて止めてましたが、経久はそれでも諦めず、後日その木を切って薪にして渡してしまいました。枝を褒められて薪を渡しちゃうwww木じゃないんだw薪なんだwww

  • 雑記

    戦国武将で長生きしたのは

    今回は武将と位置付けられる主な人物の没年を参考にして平均寿命を算出戦国武将の平均寿命は「62歳」戦国時代の女性の平均寿命は「59歳」主な武将の寿命・森蘭丸 17歳・羽柴秀勝 18歳・小早川秀秋、松平信康 20歳・織田信忠、織田信孝、織田秀信、斎藤龍興、上杉景虎、尼子勝久 25歳・浅井長政 28歳・陶晴賢、竹中半兵衛 34歳・武田勝頼 35歳・高橋紹運、蒲生氏郷、朝倉義景 39歳・石田三成、長宗我部盛親、大谷吉継 40歳・今川義元、織田信秀、伊達輝宗、井伊直政、中川清秀 41歳・織田信長、姉小路頼綱、森可成、浅井久政 47歳・上杉謙信、真田幸村、池田恒興、池田輝政、斎藤利三、大友義鑑 48歳・加藤清正、顯如、丹羽長秀 49歳・武田信玄、荒木村重、高坂昌信、支倉常長、大内義興 51歳・北条氏政、佐々成政、徳川秀忠、吉弘鑑理、大友義統 52歳・太田道灌、明智光秀、服部半蔵、黒田長政、佐久間信盛 54歳・黒田官兵衛、大道寺政繁、大友宗麟 57歳・豊臣秀吉、滝川一益、柴田勝家、鳥居元忠、平手政 61歳・宮本武蔵、安国寺恵瓊、真田幸隆、飯富虎昌、黒田職隆・真田昌幸、浅野長政、小早川隆景、金地院崇伝 64歳・徳川家康、鬼庭良直、本荘繁長 73歳最も長生きした戦国武将は、史料で実在が確認されている人物では、106歳まで生きた「木幡高清」不明な点も多いが恐らく実在したと思われる戦国武将なら、108歳まで生きた「滝川益氏」が、戦国時代に最も長生きした武将と考えられます。木幡高清は、天文6年(1537年)から寛永19年(1642年)にかけての武将で、織田信長(生1534年)の3年後に生まれて江戸時代の初期まで生きているので、かなり長寿だったことがわかります。相馬氏5代目に仕え、相馬利胤(陸奥相馬中村藩・初代藩主)の後見人になり、故事や文献に詳しく、史料の編纂を行った人物でもありました。また、中村城の城下の整備に貢献し、息子の清吉も96歳まで長生きしています。さて、滝川益氏については不明な点もあり、「関八州古戦録」「北条五代記」などの軍記物語を参照すると、大永7年(1527年)から寛永12年(1635年)にかけての武将です。一説によると滝川氏の一族で、前田利益(前田慶次)の父親で、織田信長の家臣である滝川一益の従兄弟。しかし、佐治益氏と同一人物という説もあり、不確かな情報が多いようです。1582年には一益と共に甲州征伐や神流川の戦い(後北条氏との合戦)に出撃したが、一益が上野国を失って伊勢(三重県北中部)に敗走。その1年後に起きた賤ヶ岳の戦いにも出陣したとのことです。しかし、晩年は不明な点が多く今回は「木幡高清」ということで

  • 健康

    加齢による内臓脂肪面積の変化

    腹部の脂肪や内臓脂肪が多くなると血中脂質や血圧が高くなりやすくなり、メタボの危険性が高まります。その上、肝機能への影響も出てくることが統計的にもわかっています。30代以上の方は全身の体脂肪率が高くなくても油断は禁物です。お腹の脂肪が気になり出したら見た目だけでなく健康的にも注意が必要です。男女別の加齢変化傾向加齢と共にお腹周りに脂肪がつき、メタボの危険性が高まるというのは男女共通の変化です。しかし元々男女の体型や体組成・脂肪分布は異なり、加齢による変化にも男女差があります。男性:「腕・脚の筋肉量減少」男性で加齢により増えてしまいがちなのは「お腹の脂肪」で、これは確かなことなのですが、男性にとって脂肪よりも変化が目立つのは実は「筋肉」なのです。男性は 元々女性よりも筋肉量が多く、体重が重くても脂肪率は低い傾向があるのですが、その筋肉量は加齢による減少変化がとても大きいのです。特に腕と脚は顕著にその傾向が表れています。加齢による腕と脚の筋肉量減少は統計的にも明らかです。このように男性は加齢による筋肉量の減少が大きいので、たとえ体重はそんなに増えて無くても、脂肪の割合(体脂肪率)が増えてしまっていることも多いのです。女性:「上半身の脂肪増加」女性は筋肉量よりも脂肪の付き方に特徴があり、男性よりも顕著な変化傾向があります。若いうちは細かった腕やお腹などの上半身にも年齢とともに脂肪が つきはじめ、50代ごろには全身に脂肪がついて全体のかたちが丸くなるという傾向にあります。「若々しく見える体形」とは・・・?では、「若く見える体形は?」というと、加齢変化とは逆に若い世代の平均的な体形特徴を参考にすると答えが見えてきます。◎男性:全身の脂肪率は低いが筋肉量が多いので細くはなく、特に腕や脚はガッチリしており、お腹はまだ脂肪が少なく締まっている。◎女性:ウエスト周りや腕、肩は細く華奢ですが、腰周りや太腿には脂肪が付いていて健康的。加齢変化に負けず「脂肪を消費しやすいからだ」を維持するにはそれでは、年齢による基礎代謝量の低下に負けず、できるだけ若い頃の体重・体脂肪率・筋肉量を維持するためにはどうすればよいのでしょうか。年々低下する基礎代謝量を意識して摂取エネルギー(カロリー)を減らせばエネルギーが余ることを防げますが、これには注意が必要です。バランスを考えず「食べる量全体」を減らしてしまうと、筋肉を作る「たんぱく質」や「代謝を促進するビタミンやミネラル」まで減ってしまい、このような状態が続くと加齢変化以上に基礎代謝量が減ってしまうからです。そしてリバウンドしてはまた食事量を減らして更にいっそう太りやすくなる、という悪循環に陥りやすくなってしまいます。こうならないためには「低カロリーでもたんぱく質やミネラルが豊富な食事をし、基礎代謝量を増やすために筋肉を意識して使う」ということが必要です。